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【アラベスク】  第8章 荊の城



第2節 鰯のそらと蝉のかぜ [9]




 聡を見下す緩の態度。
「緩の母親が死んだ後、世話を祖父母に託してしまっていた。私が緩を他人任せにしてしまっていたのも、いけなかったのかもしれない」
 関東に住む、緩の母親の両親。たった一人の孫が、彼らにはとても恋しかった。だが、孫が可愛いのは泰啓の両親とて同じこと。まるで対抗するかのように、緩の世話を甲斐甲斐しく行った。
「兄弟でもいればまた少しは違ったのかもしれないな。緩の母親は男の子も欲しいとは言っていたが、もともと身体が弱かったからね」
 結果、緩は少し我儘に育った。
「唐渓の中学に入学した当時、緩はちょっと苛められていたみたいでね。今はそんな事もないみたいだけど」
 楽観的に話す義父の言葉が、チクリと聡の胸に刺さる。
 苛められないのは、廿楽華恩という女に()(へつら)っているからですよ。
 だが、今ここでそれを暴露する必要もない。
 ぐっと言葉を呑み、黙って相手を見つめる。泰啓は、そんな聡にようやく視線を向けた。
「まぁ 兄弟がいれば何も問題なく育つというワケではないしな。一人っ子でも、父親や母親がいなくても立派な大人として育ってる人間はいくらでもいる。こんな事を言うのは親として失格かもしれないが、お前と緩は本当の兄妹というワケではない。無理に兄妹になれとは言わないさ。それはこちらの我侭だ。仲良くしてくれれば嬉しいけど、別に無理して合わせる必要はない。母さんはお前を咎めるけど、俺は別にいいと思ってる」
 言ってから、これでは父親失格だな と笑った。
 この人は、良く笑う人だ。
 ぼんやりと眺める聡の肩を叩き、あんまり遅くなるなよ とだけ告げ、泰啓は聡に背を向けた。
 俺だって、仲違(なかたが)いしたいとは思ってないよ。
 小さくなる背中を眺めながら、うんざりと心内で呟く。
 帰っても楽しいとは感じられない家庭しか知らない聡。食卓を囲んで楽しく団欒できる暖かい家族というモノに、少しは憧れてもいた。母子二人だけしかいないのにとても賑やかな美鶴の家庭環境を見ていると、自分の家ももう少し明るければと思ったこともあった。
 兄弟の存在にも憧れた。学校だけでなく、家に帰っても楽しく遊べる相手がいるというのは羨ましかった。
 母親の再婚を聞いた時、妹ができると告げられて正直戸惑った。女子の存在は、聡にとっては疎ましいだけの存在。だが、それでも、例えば美鶴のような異性だったら一緒に暮らしたら楽しいのかもしれないなどと、小さな期待も抱いていた。
 美鶴ほど気の合う存在はいないと思いながらも、行方のわからなくなってしまった美鶴にはもう逢えないのだと、諦め始めていた頃の出来事だった。美鶴のいない生活に馴染まなければならないのだと無理矢理言い聞かせ始めていた頃、緩と出会った。
 同じ屋根の下で暮らすのだ。できるなら聡だって、仲良く暮らしたい。
 だけどさ、あんな態度取られたら、誰だって腹も立つだろ。
 事あるごとに絡んでくる義妹の緩。権力に尻尾を振って学生生活を送っているという、その行動も気に入らない。
「ったく、これだから女は」
 思わず口に出す。
 これだから女は苦手だ。
 田代里奈も、義妹の緩も、しつこく言い寄ってくる女子生徒も、昔から聡は異性が苦手だ。
 ただ一人、美鶴だけは心地よかった。
 美鶴だけは何も気にせず、気を使うことなく自由に付き合える。
 美鶴が側にいると心地よい。

「美鶴と離れるなんて、そんなの嫌っ!」

 俺だって嫌だよ。
 グッと拳を握る。
「俺だって嫌だ」
 山脇瑠駆真だけでも厄介だというのに、田代里奈まで聡と美鶴の仲を邪魔するのか。
 そうだ。里奈など、今となっては邪魔なだけだ。決して味方とは言えない。
 里奈が美鶴の周囲をチラつくようになれば、美鶴はまた自分から離れて、遠い存在になってしまうかもしれない。
 離れて初めて気がついた。今度は絶対、離れてはならない。
 山脇瑠駆真に田代里奈。そしてもう一人。
「俺だって、負けられねぇんだよ」
 負けられない。今日こそハッキリさせてやる。
 言い聞かせるように呟き、聡も一歩踏み出した。





「関係ないでしょ」
 フッと逸らされた視線に合わせて、聡がグイッと身を乗り出す。
 視界を遮るその存在に、美鶴はうんざりとため息。今日これで、何度目だろう?
「勉強の邪魔」
「こっちの方が大事」
「三日も休んだのよ」
 憮然と言い返す。
「遅れを取り戻したいの」
「どーせ、ずっと先まで予習してんだろ? どこ遅れてんだよ?」
 言いながらノートを覗き込む聡の体を慌てて押しのけ、パタンと閉じる。
「英語か? 教えてやろーか?」
 瞬間、二人の間に散る火花。
 夏休み前の模試。英語は聡の方が上。
 美鶴相手に成績で刺激するのは本来避けたい。だが、今の聡にはどうだっていい。
 そう、どうだっていい。







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